ともに 浄土真宗(真宗大谷派)本山 京都・東本願寺 龍善寺 早稲田納骨堂発
いよいよカウントダウン。12月31日が1月1日になったからといって、何かが変わるというものでもないのですが、人間とはそうやってなんでもないことにいろいろな意味づけし、意味をくみ取って心を耕す生き物であるのかもしれません。年の瀬と名付けられた日々に亡き人を偲び、心を尽くす日本の尊い風習を感じる、ここ浄土真宗(真宗大谷派)本山 京都・東本願寺 龍善寺 早稲田納骨堂には、年末が近づくにつれてたくさんの花がお参りの方々によって彩られ、多くの方々の思いが荘厳(飾るの意味)されています。
話は秋の日に遡りますが、埼玉の上尾にある浄土真宗(真宗大谷派)のお寺へ、毎年、報恩講の日にお邪魔しています。報恩講は浄土真宗が最も大切にしている行事で11月28日の浄土真宗宗祖 親鸞聖人の祥月命日の法要であることは、以前に記した通りです。私がお邪魔する上尾のお寺は、数年前まで、2泊3日のご法要で、ご門徒さんの何人かはお寺に宿泊し、朝早い晨朝法話から夜の勤行、法話に参加し、皆さんでお斎(法要の際の食事)の準備をするという伝統的な報恩講を厳修されてきました。今は、1泊2日となっていますが、私はだいたい1日目の午後から夜にかけて参加しています。夜は、御本堂で車座(講師を中心に輪になって座る)になり、近況報告を兼ねて最近、自分が感じている事などをお話しする時間となっています。今年の報恩講で印象的だったお話しがあります。
そのお寺の前坊守(前住職の妻)さんが新聞の中で見つけたというお話です。「小さな子どもが公園で遊んでいる時にこけました。それを見ていたその子の友達がこけた子に駆け寄り、その子を起き上がらせようとすると思いきや、その子はこけた子の横でバタンと倒れ、しばらくして『一緒に起きようか』と言って二人で起き上がったのです」という内容でした。素敵な話だなあと私も思いました。
前坊守さんは、さらに「『ともに』というのは、こういうことかなと思い知らされた」と話されました。その上、「お寺の人間である私はいつの間にか、誰かを助けてあげている気になっていたと取り違えていた」ということを、この話を読んで気づいたともおっしゃいました。
先の前坊守さんが、実際に公園でそんな小さな二人の子を目の当たりにしたら、そのできごとによって、自分を照らし出す何かを感じたのではないかと拝察致します。またある先生は、真宗を学び、仏法の眼(まなこ)を身に着けることが大切だとお話されます。「ともに」ということを、「仏法の眼を持つ」ということ、それらのことを通して、日常の小さなできごと、小さな子ども達、様々なできごとから教えられる私たちのことを宗祖 親鸞聖人は「凡夫」(ぼんぶ)と言われているのだと私は受け止めています。
なかなか、難しい話です。仏道を歩むものとして、「仏法の眼(まなこ)」…一切は仏さんの教えであったと気づく眼を開いていけるのか。まだまだ、道は遠いとしか言いようがありません。
2018年、最後のブログ。新しい年はどんな年になるのでしょう。前回もお知らせしました通り、浄土真宗(真宗大谷派 本山京都・東本願寺)龍善寺 早稲田納骨堂では、年末年始もお参りができます。参拝の時間は、12月29日(土曜日)から1月3日(金曜日)は休日時間となり、17時までのお参りとなります。4日以降は、通常通りの時間帯、平日は、18:45まで。土日、祝日は17時までです。ご家族で集まることの多い年末、年始。お一人でも、大勢でも、「そうだ!早稲田に行こう!」と思いたつこころが起こったら、是非、おいでください。年中無休の浄土真宗(真宗大谷派 本山京都・東本願寺)龍善寺 早稲田納骨堂でスタッフ一同、お待ちしております。それでは、よいお年をお迎えください。そして来年も皆様と仏さまと「ともに過ごす」日々でありたいと願い続けていきたいと思っております。
2018年12月29日 額田 薫