ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

おかげさま

秋もお彼岸が過ぎ、少しずつではありますが、涼しくなってまいりました。

 

早稲田墓陵(龍善寺境内墓地、早稲田納骨堂、早稲田永代供養墓)にご参拝の方々も暖かな服装になっているように感じます。

 

 

私事ですが、以前、北海道に小旅行をしてまいりました。

ご存知の方も少ないと思いますが、実は北海道という地は、龍善寺と同じ、真宗大谷派の寺院が多く点在している地域でもあり、札幌市内には、京都・東本願寺の別院があるほど、浄土真宗の教えがしっかりと受け継がれているところです。

実はその札幌別院に参拝した際、

『「おかげさま」と言える人生に孤独はない』

という言葉が、掲示板に貼られていました。

 

 

私はご飯を食べる事が大好きで、北海道でもたくさん食事をしたのですが、

例えば、北海道名産のジャガイモで使ったカレーひとつをとってみても、ジャガイモを生産してくれた方、青果市場からお店まで運んでくれた方、袋詰めして店頭に並べてくれた方など、ジャガイモが入ったカレーを口にするまでにたくさんのつながり、背景があり、その方々のおかげさまで、私たちが美味しいカレーを頂けているのかもしれません。

だとすれば、改めて、札幌別院で出遇った「おかげさま」という言葉を受け止めなおしてみますと、「我がいのち」と思い込んでいるそのいのちさえ、私から始まったいのちではなく、それこそ、私の考えではおよばないほど、目では見えないつながりのおかげさまによって、今の私があるといってもいいすぎではないはずです。

 

 

また、「人間」という言葉はまさしく、「人との間」という意味でもあるはずです。

誰かがいてくれるからこそ、誰かとつながっているからこその私であるならば、私の人生は決して孤独な人生ではないといえるのではないか。

多くのおかげさまがあっての一杯のカレーであり、多くのつながり、おかげさまがあっての私があるのではないか。

 

 

自分自身もこの「おかげさま」という言葉を改めて考え、日々の生活を大切にしていこうと思います。

 

 

 

合掌

5:副住職 音俊輔

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