気付き
2017年が始まったと思っていたら早いものでもう3月。
あっという間に日々が過ぎてしまうことに驚愕しています。
私は、昨年の3月から龍善寺にお世話になり始めて約1年が経過していますが、今まででの人生で一番早く感じた1年でもありました。
考えてみれば、刻まれる時間そのものは、全く変わっていないのに、早く感じるのですから不思議なものです。ただ、それだけ充実した日々だったという証なのかもしれません。
思い返してみれば、1日がすごく長かった学生時代。時間というのは無限にあると思っていた時期もありました。ただ、今は逆に大切な存在の「死」を縁として、時間に限りがあるという事実を実感しはじめた自分がいます。
「また明日ね」と言葉を交わし、別れた祖母が次の日に亡くなっていた真実。
友人が原因不明で命尽きた事実。
私たちは日々忙しくしている中で、いのちに限りがあることを意識することが無いのかもしれません。そして、しなくてはいけないこと、しようと思っていることがあるのにも関わらず「明日にしよう」等の言葉がやはり出てきてしまうのです。
ただ、家族・友人等、自分と切っても切り離せない存在が亡くなった時、どうしても「死」の現実を身近に感じることになると思います。
そして亡き人が、ついつい生きていることが当たり前になっていた自分に、「違うんだよ」と語りかけてくれているような気がしているのと同時に、亡き人を思うたび、生きていることが当たり前に感じていた自分が顕かになりました。
しかし悲しいことに、時間が経てば「死」そのものが、またどこか他人事のようになってしまう私がいます。
ただ、そんな私が亡き人をお参りすることで、亡き人から改めて「いのちには限りがあるんだ」ということを学ばせて頂いている気がしてなりません。
人には「いのちの繋がり」があります。
自分が存在しているのも先に生まれた人のおかげです。先の人が1つでも違った行動をとっていれば、今自分の命はないのですから。何か迷ったとき、思い立ったときには、先人を訪ねてみてはどうでしょうか。
娑婆世界でも先に生まれた人に学ぶことが多いように、浄土に生まれた人に学ぶこともあります。
3月はお彼岸です。是非、納骨堂にお参り(学び)にご参詣ください。
南無阿弥陀仏