ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

不要不急

新型コロナウイルスが猛威を振るっており、不要不急の外出を控えなければならない状況が続いております。皆様は健康でお過ごしでしょうか。日頃より早稲田墓陵(龍善寺境内墓地、早稲田納骨堂、早稲田永代供養墓)にご参拝いただき、誠にありがとうございます。

 

 

龍善寺においては、政府からの緊急事態宣言が出されてから、納骨堂の開館時間を午前11時から午後3時までとし、開館時間を短くしております。皆様にはご迷惑をおかけしております。
この様な状況の為、「ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)」人と人の距離をとり、「ステイ・ホーム」家にいましょう、3密(密集、密室、密接)を避けての行動を意識した生活がここ1か月続けていております。
とはいえ、各家庭それぞれ生活がある為、仕事に出勤する為に通勤される方や川沿いや公園では子どもたちが学校にいけないことによる有り余ったエネルギーを走り周り発散している姿をみます。3密を避けるといっても、どうにも出来ない場合があります。その様な時、不用意な接触に気をつかいますが、どういった行動をとるのが適切なのか分からなくなります。
私は現在お寺でのお勤めの日は、電車を用いお寺にき、休みの日は極力自宅におり、マスクが欠かせない生活をしております。最低限の外出のみの生活を続けていると閉鎖的な雰囲気に気が参ってしまいます。コロナウイルス以前の生活と比べるとかなり不自由な生活だと感じずにはおれません。

 

 

そこで気になるのが新聞やニュースで耳にする「不要不急」という言葉です。
この言葉を聞くと、ちょっとした子どもとの川沿いでの散歩も控えなければならないのかと感じます。この行動は、私にとって必要であるけれども、他の方にとっては不要と思われるでしょう。反対に私が不要で急がないものは、他の方にとっては必要であり急ぐものといった場合があります。どこからが必要で不必要なものなのか、どれを急ぐのか急がないのかという判断基準は分かりません。

 

 

このことから、いつもは自分の赴くままに判断し、行動できたはずなのに、ふいにコロナウイルスといった状況に置かれた時、たちまちいつものように判断できなくなっています。浄土真宗では縁によって生きるものを「凡夫」、コロナウイルスといった条件を「縁」といいます。その縁次第で何をしでかすかわからない身であると気づかされます。

 

 

「不要不急」ということから社会の規則として守るべきことはあるなと考えつつも、不意に自己判断により誤った判断をする私がいます。コロナウイルスの状況下だけでなく、これからの生活を考える中で、日々の行動によって何を必要とし大切としているのかと問われていると考えさせられます。

 

 

 

南無阿弥陀仏

副住職 末廣亮

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