ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

命のバトン

年末を迎え、益々、寒さ厳しい季節となってまいりました。

日ごろより早稲田墓陵(龍善寺墓地、早稲田納骨堂、早稲田永代供養墓)にご参拝いただき、誠にありがとうございます。

 

 

 

さて、私は最近まで自分は自らの意思で生きていると考えてまいりました。

しかし、よく考えてみると両親がいて自分がいる。

勿論、両親にも両親がいる。そのまた両親にも・・・と、今自分がこの場にいるのは、生きていることは、ある意味、偶然なのかもしれません。

誰一人欠けても自分はこの場に居りませんし、何十、何百、何千の命のバトンが繋がって、

それぞれ、生命は続いているのです。

想えば、生きているように思えて、実は生かされている。

よく考えると、自分の意思で、命のバトンを終わらせることも出来ます。

また、他人によって、命のバトンが途絶えさせてしまうことも出来てしまいます。

 

 

 

何事も、最後は自己中心で考えがちです。自分さえ良ければ、自分の都合の良いように行けばと、自分勝手な行動に走りがちなのかもしれません。

他人の命のバトンを終わせるという事は、自制心が抑えきれず、他人を傷つける。

そもそも、なにもかも自分が思うように行くことなど、そう多くありません。

寧ろ、思い通りになる方が珍しいのです。誰しも、失敗を繰り返し成長していく。

 

 

 

自分が命のバトンを終わらせても誰も何とも思わない。

そんなことは全くありません。

友達、そして何より、家族が悲しみます。

自分だけの命なのではないと、改めて、日々の生活を送っていく中で、感じていければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

合掌

 

5:副住職 音俊輔

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