縁 龍善寺(真宗大谷派 本山 京都東本願寺)早稲田納骨堂発
長い長い連休が終わりました。皆さんにとっては、どのようなお休みでしたでしょうか。龍善寺(真宗大谷派 本山 京都東本願寺)早稲田納骨堂は1年、365日お参りすることができ、この連休もたくさんの方がお参りにいらっしゃいました。特に5月3日、4日は浄土真宗が大切にしている法要のひとつ、永代経が厳修され、龍善寺(真宗大谷派 本山 京都東本願寺)に多くの方々が参詣されました。
浄土真宗における「永代経」とは「先祖・先達を御縁として私が教えを頂き未来永代に伝える」ことを願う法要です。世間ではその10連休、レジャーや、旅行などに向かう人々の様子がテレビの映像などで流れる中、滅多にないこの長い休みの中の1日に、龍善寺(真宗大谷派 本山 京都東本願寺)のご法要に参加された方々。いろいろな縁が繋がり、参加された1人1人がこの龍善寺の御本堂で仏様の前で仏様に向かってお座りになりました。この永代経の1日が心に刻まれ、これから先、この日の事が何らかの形で語り継がれ、またそのことで縁が紡がれていくに違いありません。
また別の角度から見るとこの日、この時に龍善寺(真宗大谷派 本山 京都東本願寺)の永代経法要に参加された方々がどうしてこの日、この時に龍善寺に行くことをお選びになったのでしょうか?それは私1人の意志だけではないことはよくよく考えてみるとわかります。紡がれた縁とそれを選んだ私。稀有(滅多にない希なこと)であり、不思議なことのように思っています。
しかし、結ばれる縁は時として、優しく、時として残酷で、私たちが選ぶことができないものです。連休明けに起きた琵琶湖湖畔の保育園児を巻き込んだ重大事故について思いを馳せても、選ぶことのできなかった悲しい縁に思いが至ります。誰一人、そんな事故の当事者になるとは思っていなかったでしょう。『歎異抄』という本の中で親鸞聖人は「縁によっては、私たちはどのような行為もするものだ」と語られています。世の中に善人と悪人とが居るわけではなく、同じ人が縁によってどちらにでもなり得ると教えられてきました。また、いつ、私たち一人一人の上に、同じようなことが起きるかは、誰にも分からないことです。
縦と横の糸に絡まれたような様々な縁の中で繋がれる私たちのいのち。嬉しいことも悲しいこともただ念仏せよと教えられてきたことはどういうことなのでしょうか。日頃から教えの言葉に耳を傾け、心を耕しながら、ご一緒に問い続けていけることを願ってやみません。これこそがまさに永代経の願いと感じています。
早いもので五月も半ばが過ぎました。早くも「梅雨」の言葉が巷に流れる中、この時期の短い爽やかな風に吹かれながら、龍善寺(真宗大谷派 本山 京都東本願寺)早稲田納骨堂へ足を延ばしては如何でしょうか?皆様のご来寺をお待ちしております。
2019年5月19日 額田 薫