ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

新元号と真宗

龍善寺の楼門にございます、八重の桜の花も散り、新緑が生える季節となりました。

 

 

日ごろより、早稲田墓陵(龍善寺境内墓地、早稲田納骨堂、早稲田永代供養墓)にご参拝いただき、有難うございます。

 

 

 

さて、4月、新元号「令和」が発表され、5月に、新たな元号が始まりました。。
私自身、平成元年生まれで、新たな元号を迎えるということは、とても新鮮な気持ちもします。
「令和」という元号については、「万葉集」の一文から引用されたこということは皆さん、既にご存知かと思います。
意味について、メディアなどでよく、聞く機会がございました。「令」は、命令などで用いることもありますが、「皆が同じ方向を向いて」、また、「和」とは、「手をとりあい、和となって和やか」という事です。
特に、「和」というと、争いなどがなく、穏やかな感じを表現するのではないでしょうか。
直訳すると「皆さんが同じ方向を向いて、争いなどせず、手を取り合い、よりよい世界にしていこう」という意味なのだと感じます。
また、真宗的に申しますと、娑婆(今我々が生きている)世界に、ご縁をいただき、生を受けた我々が、争いをせず、より過ごしやすい所へと、していこうと。

 

 

 

真宗にも、「御同朋・御同行(おんどうぼう・おんどうぎょう」という言葉があります。同じ学びをいただくものは、みな平等、上下など関係ないのだという意味です。
まさに、この言葉は、「令和」という言葉にも、近いものを感じます。

 

 

 

大学在学時代、ある教授がこのような言葉を言っていました。それは「区別と差別は違う。区別は、男性と女性。差別は、男性だから出来る、女性だから出来ないなど、優劣をつけること。」というです。

私自身、男性だから、女性だからという、偏見をもってしまい、優劣をつけてしまっていました。
しかし、この「令和」という言葉を通して、改めて自分自身に問いかけ、

男女分け隔てなく、一人間として、衆生として、尊重していくべきなのだと感じました。

 

 

 

過去を変える事は出来ませんが、今そしてこの先に向けて、自分自身の考えを改める機会だと感じ、日々過ごしていければと思います。

 

 

 

合掌

5:副住職 音俊輔

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